2022年、夏、東京

帰省して、両親に会ってきました。

父親のこと。

2人で出かけると、帰りの電車の中ではだいたい”禅問答”をすることが多い。「父さんはなんで今の仕事に就こうと思ったの?」「若いころどうやって過ごしてた?」「なんでそんなにたくさん本読めるの?」「『名作』と呼ばれる本とか映画ってやっぱり一度は見ておいたほうがいいのかな」こんな疑問を1回に1つずつ、父に投げかけてきた。そのたびに父は「あーそうだね…」と言いながら、一つ一つ言葉を選んで「世界」のことを教えてくれる。僕と父との関係は、かの有名な「コペル君」と「叔父さん」に似ている。

昔、父親の帰りが遅かった時(というより僕が小学生くらいで就寝が早すぎたのだろう)、父が帰ってくる頃には僕はぐっすり眠りについていたから、夜に顔を合わせることはなかった。その代わり、交換日記をしていた。夜ご飯を食べ終わったら、今日あったことを交換日記に書き、僕が眠りについた後、帰宅した父が返事を書いてくれる。そして翌朝、彼の返事をワクワクしながら読む。こんなルーティーンだった。どんなことを描いていたのかは正直あんまり覚えていないけれど、そのころの僕にとって、あのノートはやはり「世界」のことが書いてある魔法の本だった。

父は昔も今も変わらず僕に「世界の秘密」を教えてくれる人なんだろうな、と思う。

母親のこと。

母を突き動かしているのは「愛」なのだ、とどこまでも痛感する。息子である僕に対して、というよりも全人類に対しての愛。与えた愛情が返ってくるか来ないかは関係ないらしい。報われないとわかっていても本能的に優しさを分け与えてしまう、それが母の生き方なんだ。

どうしても母のサインが必要で、勤務先に突撃したことがある(母さんゴメン)。その時にたくさんのスタッフさんが対応してくださったのだが、その誰もが「○○さんの息子さんね!^^」とものすごく良くしてくれた。(社員が全員仏である可能性も捨てきれないが、)会社でも皆から好かれているようだ。お客さんからこんな手紙をもらってきたこともある。「あなたには愛があるの。ほかの人にはない『愛』を、あなたからは感じるのよ」と書いてあった。彼女の原動力は紛れもない「愛」なのだった。

まあこれは簡単に真似できるようなものではないだろう。だって彼女のいちばん近くに18年間居座った僕でさえ、真似できていないのだから。でもなるべくなら、母を誰かに紹介するとき「○○君のお母さんね!^^」と言ってもらいたいなと思う◢

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